• フォロー|
  • ログイン|
  • ブログを作る!(無料)

こんにちわ!エスプリな毎日です。

lespritnow.exblog.jp
ブログトップ

エスプリな毎日は「質素で、心豊かな暮らし」。ファン申請は、親族だけです。
by kurashi_lesprit
プロフィールを見る
< April 2018 >
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
カテゴリ
全体
楽しい我が家
庭とインテリア
音楽のある暮らし
宝物
エスプリなその他
仕事
お出かけ
暮らすようにパリ
イギリス旅行
イスラエル旅行
北京旅行
ヨット
ヴォーリズ建築特集
未分類
以前の記事
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
more...
ホーム
□ 父のブログ

88歳、今日もブログ



□ 父の信仰復活

復活:信仰の大リレー





□ 米沢興譲教会
     田中信生牧師



最新・礼拝メッセージ

□ ヨット


バルクヘッド・マガジン

ルール・ゲーム
最新のコメント
りんりんちゃん、こんばん..
by kurashi_lesprit at 20:25
取り上げてくださってあり..
by linlinlove at 18:05
おおっ!、リンリンちゃん..
by kurashi_lesprit at 22:04
検索
記事ランキング
  • 今年も白藤咲きました! リビングから、白藤が見...

  • 尼崎信用金庫の今年のCM 今年のあましんのCMは、...

  • リナちゃんの人園式 限定公開の記事です

ブログジャンル
シニアライフ
マリンスポーツ
エキサイト
XML | ATOM

Powered by Excite Blog

個人情報保護
情報取得について
免責事項

カテゴリ:ヴォーリズ建築特集( 30 )

  • 明治・大正・昭和のキリスト者たち~その2
    [ 2016-01 -13 22:42 ]
  • まるで修道院のような「神戸女学院」
    [ 2014-12 -21 21:54 ]
  • 廣岡浅子と加島銀行
    [ 2013-11 -02 15:58 ]
  • 明治・大正・昭和のキリスト者たち~その1
    [ 2013-10 -27 23:29 ]
  • 大阪・堺市浜寺の近江岸邸
    [ 2009-05 -24 17:15 ]
  • 大阪 浪花教会
    [ 2008-12 -06 18:53 ]
  • ヴォーリズ建築巡りの旅~滋賀県近江八幡~鯖街道
    [ 2007-06 -04 08:05 ]
  • ヴォーリズ建築巡りの旅~軽井沢
    [ 2007-05 -02 18:21 ]
  • ヴォーリズ建築巡りの旅~白滝山荘
    [ 2006-10 -04 20:29 ]
  • ヴォーリズ建築巡りの旅~住吉小寺邸旧三男宅
    [ 2005-10 -29 03:06 ]
  • ヴォーリズ建築巡りの旅~住吉小寺邸本宅
    [ 2005-10 -28 07:46 ]
  • ヴォーリズ建築巡りの旅~旧ユニオン教会(フロインドリーフ)
    [ 2005-10 -26 19:45 ]
  • ヴォーリズ建築巡りの旅 ~須磨・神戸・住吉
    [ 2005-10 -26 19:30 ]
  • ヴォーリズ建築巡り~神戸須磨区 室谷邸
    [ 2005-10 -22 22:04 ]
  • ヴォーリズ建築巡りの旅~王子ギャラリー(旧関西学院チャペル)
    [ 2005-10 -22 20:38 ]
  • ヴォーリズ建築巡りの旅~旧居留地38番街(大丸横)
    [ 2005-10 -22 19:40 ]
  • 鬼の居ぬ間に・・・・心斎橋大丸百貨店
    [ 2005-10 -18 22:34 ]
  • すぐ近くの、素敵なお家
    [ 2005-09 -11 09:34 ]
  • 神戸市東灘区 旧乾(いぬい)邸
    [ 2005-08 -31 08:17 ]
  • ヴォーリズ建築巡りの旅~神戸女学院
    [ 2005-08 -29 07:59 ]
  • ヴォーリズ建築巡りの旅~関西学院学舎
    [ 2005-08 -20 20:30 ]
  • ヴォーリズ建築巡りの旅~旧小寺邸の六甲山荘
    [ 2005-08 -20 18:03 ]
  • ヴォーリズ建築めぐりの旅~同志社アーモスト館
    [ 2005-08 -13 21:06 ]
  • ヴォーリズ建築巡りの旅~ 京都「駒井邸」
    [ 2005-08 -13 08:06 ]
  • 京都大丸ヴィラ
    [ 2005-08 -13 02:58 ]
  • 近江八幡~水が浜
    [ 2005-08 -12 23:37 ]
  • ヴォーリズ建築めぐりの旅~近江八幡・YMCA会館
    [ 2005-08 -12 23:21 ]
  • 近江八幡
    [ 2005-08 -12 20:53 ]
  • ヴォーリズ建築めぐりの旅~記念病院チャペル
    [ 2005-08 -12 10:48 ]
  • ヴォーリズ建築めぐりの旅~ツッカーハウス
    [ 2005-08 -12 09:27 ]
▽ この カテゴリの記事をすべて表示
123次へ >>>
2016年 01月 13日

明治・大正・昭和のキリスト者たち~その2

d0040546_22422620.jpg

これは、おそらく大阪の「加島銀行」を退職し、熊本市内へ戻った祖父が弁護士を開業していた昭和4年頃の写真ではないでしょうか?当時祖父は「日本聖公会・熊本聖三一教会」でも指導的な立場で活躍していた。中央に座るのが、エスプリの父。
昭和初期、キリストと共に歩むクリスチャンホーム独特の「平安」がこの写真から感じられます。しかしながら、その後の大戦の中で、多くのクリスチャンホームは強制的に解体され、投獄され、また地域社会の非難の中で、次第にその信仰を失って行きます。

d0040546_9181818.jpg

上の赤ん坊が成長した昭和10年頃?曾祖母と我が敬愛する叔母が子供の頃の写真。曾祖母は更に熱心なクリスチャンであった。キリストの愛の中で、喜びと感謝に溢れて暮らしていたクリスチャンホームの暖かさが、画像から溢れ出て来る。


d0040546_8454567.jpg

これは、昭和29年頃の日奈久温泉でのエスプリと祖父母。

終戦後、日本は一転「軍服を着た法王・マッカーサー」による、全国民キリスト教化(日本国憲法の樹立)により、再び聖書の真理が国の法律の隅々まで浸透する事となり、現在の平和な日本が出来上がった。

画像は、戦後10年経ち、今更キリスト教会には戻れない(と思っている)夫婦の虚無感が漂っている。しかし、晩年祖父は信仰が復活し、教会生活も復活した。クリスチャン弁護士として、多くの犯罪者たち(祖父は、刑事事件を得意としていた)の弁護活動に力を注いでいた。共に暮らしていたエスプリは、その仕事を手伝いながら、「人間の尊厳」「人間の価値の公平さ」を知った。

一方、祖母は晩年、エスプリの信仰への促しに

「神様にずっと背中を向けてしまっている私は、もうイエス様に顔向けができない。」

と顔を伏せた。エスプリは、その言葉に実は信仰を感じたのである。つまり、「顔向けできない方がおられる」ことを祖母はずっと信じていたのである。

ps 139: 8
たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、
私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。
ps 139: 9
私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、
ps 139:10
そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。


rom-11:28
彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。
rom:11:29
神の賜物と召命とは変わることがありません。







.
▲ by kurashi_lesprit | 2016-01-13 22:42 | ヴォーリズ建築特集 | Comments(0)
2014年 12月 21日

まるで修道院のような「神戸女学院」

階段踊り場
d0040546_21474217.jpg


窓その1
d0040546_214894.jpg



窓その2
d0040546_21484342.jpg



窓その3
d0040546_21491416.jpg




窓その4
d0040546_21503252.jpg




丘の上の森の中に、忽然と現れるその「偉大な姿」にまず驚く。
d0040546_21501060.jpg




森の奥深く、ひっそりと隠れるように建っているその姿は・・・まるで「修道院」(神の道を尋ね求める場所)。
d0040546_21545686.jpg
英学校として建てられたアメリカンボードの創立者(イライザ・タルカット)と設計者(ヴォーリズ)の思いが完全に一致した建造物が、人目に触れない岡田山の山奥にたたずんでいる。

重要文化財の見学はこちらへ。

内村鑑三云いけり。
文の美なるを要せず、想の美なるを要す。

論の高妙なるを要せず、目的の確実なるを要す。

これを平文字に訳して美ならざる文は美文にあらず。

これを実地に応用して適切ならざる論は名論にあらず。

美文たり、名論たり、これみな、清き偽りなき心よりわき出づるものなり。

(1901年1月 『聖書之研究』)

▲ by kurashi_lesprit | 2014-12-21 21:54 | ヴォーリズ建築特集 | Comments(1)
2013年 11月 02日

廣岡浅子と加島銀行

d0040546_973280.jpg

画像は、「近代デジタルライブラリー・廣岡浅子著『 一週一信』」
国立国会図書館より引用

明治45年7月14日 大阪時事新報に掲載された「銀行会社特徴録」の記事より

「加島銀行」
「群雄割拠の大阪金権界に於て、住友家と鴻池家とは数百年に亘り、其因襲的権威ある特殊の暖簾を保持するは既記の如し。而して我が広岡家も、住友鴻池両家と相鼎坐し、関西財界の一角に覇を唱えたる著名の旧家にして三百年来加島屋なる商号は、如何に歴史的深甚の感想を市人に与えたるかは、今更ら贅言を須いず。

(中略)

男性的賢婦人として交際場裏に盛名ある浅子女史が、一度難産の苦痛に懲りて終生異性を絶つや、頻りに養嗣子を物色して遂に現行主恵三氏を得たり。

恵三氏は旧小野浜藩主一柳末徳(子爵)の次男にして、東大法科出の鋭才なり。浅子女史の懇望に依って広岡家に入りしは、去る三十四年爾来新進の人材を蒐め孜々として業務に精励し、行運の挽回、家門の発揚に努力しつつあり。氏は寡言沈着にして悠揚迫らざる所一見名門の若殿を偲ばしむると雖も、決して柔弱なるに非らず。眉宇に溢るる精悍の気は、自ら氏の奮闘的性格を表示し、世の所謂貴公子を以って目すべからざるものあり。

曩に種々の干渉を加えたる浅子女史も現在全く此良婿に一任し、又何等の拘束を加えざるに至りたるは全く恵三氏の才幹に信頼せる為めなるべし 。

良行主を得たる加島銀行は、又役員に於て適材を有す理事星野行則氏は米国仕込みの俊才曩に東京支店より抜擢せられて本店に入りたる者。今や行主の片腕銀行の柱石として令名嘖々たる者あり。

而して支配人祇園清次郎氏は、同家譜代の郎党にして三十年一日の如く恪勤怠らず、鴻池家の芦田氏と並称せられ、大阪銀行界の忠勤者として世に尊重せらる。斯くて本行は新智識の代表者として星野氏を控え旧派の棟梁として祇園氏を有し頗る面白きコントラストの下に、行員の調和を図るのみならず、浅子賢夫人の盛名現行主の英邁と相俟って、益々行運の発展を来たしつつあり。

住友銀行の如き係累なく、鴻池銀行の如き外部の干渉なき加島銀行は、現在未だ他行に遅るるの観ありと雖も、将来の隆昌蓋し畏るべき者あらむか 。」
~神戸大学電子図書館システム・一次情報表示より~


祖父が、東京帝国大学法科卒業後すぐに就職したのが、この加島銀行である。
熊本県出身であり、中学は東京の立教、高校も第五高等学校だったので、何故一度も暮らしたことのない大阪に就職したのか、その意図がずっとわからなかった。

おそらく、東京帝国大学YMCA(キリスト教学生青年会)に所属していた祖父とキリストにあるつながりがあったのだろう。


rom 12:10
兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。


▲ by kurashi_lesprit | 2013-11-02 15:58 | ヴォーリズ建築特集 | Comments(0)
2013年 10月 27日

明治・大正・昭和のキリスト者たち~その1

クリスチャン達の足跡〔 〕内の人物は、全てクリスチャンである。



1873年:(明治6年)2月に、キリシタン禁制令の高札が撤去

1887年:(明治20年) 摂津三田藩の第13代(最後)の藩主(九鬼隆義)
      キリスト教の洗礼を受ける。九鬼は、神戸港の都市開発
      及び神戸女学院の前身「女子寄宿学校・神戸ホーム」を設立し、
      神戸の街づくりに多大な影響を及ぼした。
1888年: (廣岡浅子)両替商加島屋(加島銀行前身)設立
      浅子は、三井銀行の社長を務めた三井高保の娘 。
1901年: (一柳恵三)東京帝大法科在学中、浅子の娘かめ子の
       養嗣子となる。実父一柳末徳は、前掲(九鬼隆義)の実弟。
      (実母一柳栄子)は、「日本で最初に洗礼を受けた
       四人の華族婦人の一人。
1902年: (浅子)大同生命設立
1903年: (浅子の娘婿、廣岡恵三)三井銀行入行      
1904年: (廣岡恵三)鹿島屋の家督を相続する。
     (浅子)上京。(成瀬仁蔵)と共に日本女子大設立。
1905年・ (ヴォーリズ)高校教師として米国より来日
1908年: (ヴォーリズ)宣教行為で迫害され教員失業・建築業をスタートする。
1910年: (一柳満喜子)母栄子の影響を受け、米国の留学先にて受洗。(廣岡恵三の実妹)
       満喜子・恵三の父方祖父は、丹波綾部藩九代藩主 九鬼隆都
1912年: (浅子63歳)軽井沢YWCAの修養会にて、救世軍の
      (山室軍平)に師事「聖潔の栞」を学び始める。
       ついに、復活されたキリストご自身と出会う。(霊的体験)
      この年の12月のクリスマス礼拝にて、受洗する。
1916年: (ヴォーリズ)明治学院大学チャペル建設
1917年: (廣岡恵三)加島銀行へ改組
1918年: (浅子)大阪YWCA設立
         この年の12月「一週一信」を
     (小橋三四子)と共に婦人週報社より発刊
1919年: (恵三)廣岡家の自宅や別荘の建築をヴォーリズへ
       依頼。通訳としての(恵三の実妹、一柳満喜子)
       が呼ばれ、ヴォーリズと出会う。
     (浅子)の強い勧めもあり(満喜子とヴォーリズ)は
      結婚する。その年に浅子は他界する。
     (エスプリの祖父)東京帝国大学「学生基督教青年会YMCA」に所属
d0040546_2115518.jpg

1920年: ー大戦後恐慌ー

1921年:(三浦清一・石川光子)神戸の(賀川豊彦)の活躍する
      貧民窟を訪問し、信仰を篤くする。
     (石川光子=ミツ)は、石川啄木の妹。
1922年: 大同生命肥後橋旧社屋建設開始(恵三×ヴォ―リス)
      大阪大丸百貨店完成 下村正太郎×(ヴォーリズ)
     (三浦清一)石川啄木の妹光子と結婚、牧師に献身

      ー関東大震災ー

1923年: (エスプリの祖父)帝大法科卒業後、加島銀行に入行
d0040546_001785.jpg
     ↑上の画像は、エスプリの祖父母
     祖父が「加島銀行」に入行した新婚時代。

1925年: 肥後橋旧大同生命ビル完成(恵三×ヴォ―リズ)
     (祖父の勤務する)加島銀行社屋もこのビルの中に移転
1926年: 大正15年 (エスプリの父)大阪市住吉で出生

1927年: ー昭和金融大恐慌ー

    (エスプリの祖父)加島銀行退職 
      熊本に帰郷し弁護士開業
      聖公会熊本聖三一教会(三浦清一牧師)に所属
1936年: (株)加島銀行解散(廣岡恵三)
1938年:(三浦清一)「私的宗教生活の瞑想」を出版
1940年: (エスプリの祖父)、裁判官へ転身、名古屋へ赴任する。

1941年: -太平洋戦争勃発ー

1942年: ホーリネス系クリスチャンが一斉検挙され、
      国家による宗教弾圧が始まる。

     日本中のキリスト教会が揺れ「国家(大衆)に付くか、
     キリストに付くか」で、二分される。
1pet 3:
悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、
かえって祝福を与えなさい。
あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

    (ヴォーリズ・満喜子)投獄を恐れ、一柳家へ入籍帰化。
      軽井沢に逃れる。
    (三浦清一牧師)キリストに付き、非戦論を訴え、
      治安維持法違反の疑いで逮捕、投獄される。
      その後、激しい迫害の中で(賀川豊彦)に救われる。
    
      
1945年: -終戦ー

     国家権力(大衆)に付き、保身した(家族を守った)
     多くのクリスチャン達は、自己の不信仰に挫折し、
     そのほとんどが、キリスト教会から離れた。
matt 26:75
そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。


     キリスト(信仰)に付き、迫害を受けたクリスチャン
     達は、戦後名誉を回復され、戦後日本の復興のた
     めに、世界中のキリスト者の支援を受けながら、
     日本国憲法の草案に寄与し、あらゆる分野で活躍、
     現在の平和日本の基礎を創った。
micah 4: 3
彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。


1964年: (ヴォーリズ)他界


祖父の信念
(一言物申す)
・何事も正直に。
・何事にも、何時でも全力を尽くす。
・人の知らざるを憂えず。



廣岡浅子の言葉
「何でも初めから無理と思うたら、
結果もそのようになります。
無理でも目的を立てて、どないしたら完遂でけるか、
焦点を絞っていくことが大切どす。」

一柳満喜子傷心の時、兄嫁の母・廣岡浅子がかけたことば
「負けんときや、おマキはん(ヴォーリズ夫人)。
あのな、勝とうとしたらあかんのどす。大阪は勝たへんのが華。相手を勝たしてなんぼが商売どす。けどな、負けへんのどす。絶対自分に負けんと立っとるのどす」

キリストは、断言される。
matt 12:50
天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

d0040546_9212033.jpg
(↑画像は、肥後橋に建てたヴォーリズの大同生命社屋)
   ヴォーリズは、確信していた。 
「神が私を通して御手のわざを実現されたのです。」
と。


玉岡かおる「 負けんとき ヴォーリズ満喜子の種まく日々」より

※ 「大同生命110周年記念特別展示」は、こちらです。あと、2日間だけです。
「大同生命文書・解題」加島屋(大同生命)の歴史 は、こちらです。
▲ by kurashi_lesprit | 2013-10-27 23:29 | ヴォーリズ建築特集 | Comments(2)
2009年 05月 24日

大阪・堺市浜寺の近江岸邸

先日、NHKの「日曜美術館」で、「ヴォーリズ建築の特集」があったらしく、母から興奮して電話がかかってきた。ー5月31日(日)夜8時に再放送予定ー

「神戸に素敵な建築家が建てた学校があるらしいので、是非見に行きたいのだけど・・・」

「おばあちゃん、九州にだって沢山あるよ!活水女学院や西南女学院、おまけにおばあちゃんが通っていた旧九州女学院もヴォーリズ建築だよ。」

と話すと、びっくりする母。ヴォーリズは実に「生活」や「学び」に近いところで多くの作品を残している。あまりにも人の内面に沿った構造なので、特別な感覚が無い。つまり「目立ったり、仰々しかったり」することが無く、しっくりするので実際にその建物を使っていても、気がつかないのである。

数年前に浜寺の「近江岸邸」を見に行った時(現在も居住されている)、近隣の住宅に非常に溶け込んでいる姿が印象的だった。まだUPしていなかったので、本日UP。なんだかエスプリの家の近くの住宅に良く似ている・・・。

d0040546_1785274.jpg
門構えは、あくまでも品良く。


d0040546_1775218.jpg
門から見える建物の横顔も素晴らしい。


d0040546_171135.jpg
遠目から見ても暖かく・・・・



d0040546_17723.jpg
近くから見ても家族への愛が感じられ・・・・


d0040546_17111925.jpg
建物の優しさが、屋根裏に溢れている。


d0040546_1795446.jpg
北の裏庭には、果樹や畑などを含む庭園が広がり、豊かな自然がある。建物の裏にも正面に負けない美しさがあり、本音と建前を分けた日本家屋の構造と、その本質を全く異にしている。



d0040546_1710219.jpg
ディテールも素朴で必要十分な美しさだ。



d0040546_17112563.jpg

1chron 28: 2
ダビデ王は立ち上がって、こう言った。「私の兄弟たち、私の民よ。私の言うことを聞きなさい。私は主の契約の箱のため、私たちの神の足台のために、安息の家を建てる志を持っていた。私は建築の用意をした。

1cor 3:10
与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。


▲ by kurashi_lesprit | 2009-05-24 17:15 | ヴォーリズ建築特集 | Comments(0)
2008年 12月 06日

大阪 浪花教会

2008年12月、模擬試験の帰りに会場のある中央区本町から淀屋橋にある中央公会堂まで、歩く。

d0040546_18524196.jpg


大阪 浪花教会の2階礼拝堂のステンドグラス。ヴォーリズ建築

夕闇迫る時刻だったが、牧師先生のご了解を得て、厳粛な思いで、エスプリはひとりたたずむ。ツッカーハウスの礼拝堂によく似た内部構造。同じ頃に出来上がったのかな?

「よくきたね♪」と言われた気がした。

d0040546_0581625.jpg

11月に、妹とたまたま前を通り、立ち寄った「塚口教会」では、関西に住んでいた頃二人とも通っていた教会だった為か、「お帰りなさい♪」といわれたような気がした。教会は何処へ行っても(教派を問わず)エスプリにとって、暖かく懐かしい薫りがいつもする。

heb: 3: 2
モーセが神の家全体のために忠実であったのと同様に、
イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです。

heb: 3: 6
しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。

▲ by kurashi_lesprit | 2008-12-06 18:53 | ヴォーリズ建築特集 | Comments(2)
2007年 06月 04日

ヴォーリズ建築巡りの旅~滋賀県近江八幡~鯖街道

d0040546_632262.jpg

やってきました。再び「近江の国」へ
d0040546_852433.jpg

旧佐藤久勝邸の近くにて見かけた素敵なおばぁちゃま。
d0040546_3583281.jpg

旧佐藤久勝邸一帯は、かつて草原だったそうで、広ーい草原の中に忽然と現れた個性溢れる洋館が建築され、牛が放牧されていたと近所のおじいさんが教えてくださった。
d0040546_1839632.jpg

ねっ!門が素敵でしょ?そこから再びツッカーハウスのある、ヴォーリズ記念病院へ行き、前回見そびれた「五葉分館」を探します。
たった2年しか経っていないのに、記念病院は総合福祉施設に変貌しており、ツッカーハウスの回りは立派な老健施設がぐるり一帯に建築されていました。その施設の横をすり抜け、細い細い小道を右に抜けると・・・・あった、あった!
d0040546_1848379.jpg

「五葉分館」です。裏山にひっそり埋もれるように建っています。
まるで、「軽井沢恵みシャレー」の祈りの家のような雰囲気です。様々な鳥達の歌声が聞こえます。かすかに耳を澄ますと基督の声が聞こえます。
「わたしの名のために、どんなに苦しまなければならないか、覚悟が出来ているか?いつもいつも私の声に聴こうとする事ができるか?」

「はい。覚悟は出来ていますが、まだまだ、訓練は続くのですか?。」
と恨めしげに聴くエスプリ。
「最後の訓練が残っている。その訓練を越えなさい。」


その後、久しぶりに「水が浜シャーレ」に行ってお昼ごはんを食べよう!と言う事になり、2年ぶりに琵琶湖湖畔を走ります。
d0040546_1931279.jpg

やってきました「シャレー水が浜」何時来てもサイコーのロケーションと美味しい食事。
d0040546_1954567.jpg

そして、このオープンエアーの中でのお食事は、何とも爽快な気分にさせてくれる「至福の時(プレシャスタイム)」なので~す♪

ネットで、イロイロ検索してみると、どーやらオーナーは近江八幡市の元市長でいらっしゃるらしい・・・。そーでしょう、そーでしょう。これだけの壮大なロケーションをセンス良く維持できるのは、素人ではないと感じておりました。この地の地主さんか何かではないか?と。多分地主さんと言うのは当たらずとも遠からずでしょう。

ドー考えても利益中心と言うより、地域住民や近江八幡・琵琶湖を愛する人々に、この自然の美しさを堪能して欲しい、と願っているような雰囲気です。喫茶や近江牛のステーキは利益を度外視したオーナーからのプレゼントに違いありません。

昼食後、我々は琵琶湖の対岸「近江今津」へ向かいます。
d0040546_359727.jpg

日本基督教団「今津教会」・・・・・なんて可愛い教会なのでしょう♪
素敵な牧師先生ご夫妻が会堂の内部までご案内くださり、資料も沢山下さいました。

matt 16:15
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
matt 16:16
シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

matt 16:18
ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。
わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。

▲ by kurashi_lesprit | 2007-06-04 08:05 | ヴォーリズ建築特集 | Comments(2)
2007年 05月 02日

ヴォーリズ建築巡りの旅~軽井沢

おしらせ!!
d0040546_18223251.jpg

ご存知、美智子様と皇太子(当時)が出会われた、軽井沢のテニスコートにあるクラブハウスです。もちろん、ヴォーリズの作品。
この場所で、ご結婚前の美智子様とヴォーリズさんの写っている集合写真が、旧軽銀座の「土屋写真館」に飾られています。
d0040546_1821749.jpg

テニスコートの横にある「集会堂」
「集会場」ではなく「集会堂」です。つまり、彼は神聖な場所として位置づけていたのでしょう。※正田家でも家庭礼拝や家庭集会が開かれていたんですね。熱心な(敬虔な)クリスチャンホームで育った美智子様とヴォーリズの出会いは、必然だったのでしょう。

d0040546_240791.jpg
テニスコートの道路を挟んだ向かい側の「ユニオンチャーチ」。

さてここから、ヴォーリズレーンへ向かいます。
ゆるやかな坂道を登って行くと、道路の両側にコンクリートで作った門柱が2本立っています。
d0040546_2142396.jpg

よーく見ると、双方とも「近江兄弟社」とペンキで書かれた文字が、うっすらと残っています。
これは、近江兄弟社がかつて(今も?)所有していた敷地であり、ヴォーリズが建てた別荘群がここからはじまる事を意味しています。

d0040546_21185974.jpg

最初にある棟が管理棟のようです。さすがに質素なたたずまい。
別荘とは、どういうことかを、深く考えさせられます。

そして、別荘の原点と言われる「九尺ニ間」の広さの建物、これがヴォーリズ夫妻の新婚当初住まいでもありました。
※ヴォーリズ夫人については、こちら。 
d0040546_21265578.jpg


と、ここで突然の雨。山の天気は変わりやすい。
あわてて近くの山荘の軒下に避難するエスプリ↓。
d0040546_21451019.jpg

「ヴォーリズさん、裏口に雨宿りできる大きな屋根とデッキを作っていてくださって、ありがとう!!」  カナダ人宣教師・幼児教育家アームストロングさんの別荘
当時そのままの煙突↓。
d0040546_2215773.jpg


翌朝、早起きし、レンタサイクルでお散歩中に偶然見つけた「旧鈴木歯科夏期診療所」
「オーナのご家族」とおぼしき方が、建物の前で車を洗っておられます。
d0040546_431521.jpg

自転車を止め、恐る恐る、夫が帽子を取ってお尋ねします。

「恐れ入りますが、こちらのお家は、ヴォーリズさんの建築でいらっしゃいますか?」

「はい、そうですよ。」

「あぁ、やはりそうでしたか。宜しければ、写真を撮らせていただけないでしょうか?」

「はいはい。結構ですよ。」

「あっ、ありがとうございます~♪ 」

ps 37:16
ひとりの正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる。
ps 37:17
なぜなら、悪者の腕は折られるが、主は正しい者をささえられるからだ。
ps 37:18
主は全き人の日々を知っておられ、彼らのゆずりは永遠に残る。。

▲ by kurashi_lesprit | 2007-05-02 18:21 | ヴォーリズ建築特集 | Comments(0)
2006年 10月 04日

ヴォーリズ建築巡りの旅~白滝山荘

と言う訳で、福山から「しまなみ海道」を渡って、一路「因島」へ~♪
d0040546_22565357.jpg


ついに見えて来ました、ヴォーリズ建築:いんのしまペンション「白滝山荘」
d0040546_20252720.jpg


詳しくはこちらをどうぞ。

d0040546_234105.jpg


d0040546_230497.jpg


今夜は、こちら↓「元宣教師のお部屋」にお泊りです。
d0040546_23152255.jpg


参考;その1

な、なんと!パパリンが同じ記事をUPしていました\(^o^)/
こちらで、ご堪能ください。

▲ by kurashi_lesprit | 2006-10-04 20:29 | ヴォーリズ建築特集 | Comments(2)
2005年 10月 29日

ヴォーリズ建築巡りの旅~住吉小寺邸旧三男宅

小寺邸本宅のすぐ南坂下にある、こじんまりとした小さな洋館がある。
d0040546_301142.jpg

現在、株式会社セブンハーツの所有となっているが、もともと本宅の息子さんの為に建てられた新居だったらしい。ヴォーリズの作品です。
多分、この住宅の画像はあまりネットでは見ないので、珍しいと思います。

d0040546_325376.jpg


内部もご覧ください。
d0040546_34288.jpg


階段横の明り取りは、勿論「黄色のガラス」が使われています。
d0040546_345869.jpg


ツッカーハウスに似た、シンプルな外観です。
d0040546_385520.jpg


階段部分の黄色のガラスが印象的です。
d0040546_393123.jpg


お庭は、住宅の5~6倍はあります。駒井邸のように、お庭がたっぷりあります。
d0040546_3104750.jpg


job 8: 6
もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。
job 8: 7
あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。

▲ by kurashi_lesprit | 2005-10-29 03:06 | ヴォーリズ建築特集 | Comments(0)
123次へ >>>

ファン申請

※ メッセージを入力してください

外部サイトRSS追加

URL :
※対応しているRSSフィードのURLをご入力ください。

RSSフィード詳細