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2016年 01月 13日
![]() これは、おそらく大阪の「加島銀行」を退職し、熊本市内へ戻った祖父が弁護士を開業していた昭和4年頃の写真ではないでしょうか?当時祖父は「日本聖公会・熊本聖三一教会」でも指導的な立場で活躍していた。中央に座るのが、エスプリの父。 昭和初期、キリストと共に歩むクリスチャンホーム独特の「平安」がこの写真から感じられます。しかしながら、その後の大戦の中で、多くのクリスチャンホームは強制的に解体され、投獄され、また地域社会の非難の中で、次第にその信仰を失って行きます。 ![]() 上の赤ん坊が成長した昭和10年頃?曾祖母と我が敬愛する叔母が子供の頃の写真。曾祖母は更に熱心なクリスチャンであった。キリストの愛の中で、喜びと感謝に溢れて暮らしていたクリスチャンホームの暖かさが、画像から溢れ出て来る。 ![]() これは、昭和29年頃の日奈久温泉でのエスプリと祖父母。 終戦後、日本は一転「軍服を着た法王・マッカーサー」による、全国民キリスト教化(日本国憲法の樹立)により、再び聖書の真理が国の法律の隅々まで浸透する事となり、現在の平和な日本が出来上がった。 画像は、戦後10年経ち、今更キリスト教会には戻れない(と思っている)夫婦の虚無感が漂っている。しかし、晩年祖父は信仰が復活し、教会生活も復活した。クリスチャン弁護士として、多くの犯罪者たち(祖父は、刑事事件を得意としていた)の弁護活動に力を注いでいた。共に暮らしていたエスプリは、その仕事を手伝いながら、「人間の尊厳」「人間の価値の公平さ」を知った。 一方、祖母は晩年、エスプリの信仰への促しに 「神様にずっと背中を向けてしまっている私は、もうイエス様に顔向けができない。」 と顔を伏せた。エスプリは、その言葉に実は信仰を感じたのである。つまり、「顔向けできない方がおられる」ことを祖母はずっと信じていたのである。 ps 139: 8 . ▲
by kurashi_lesprit
| 2016-01-13 22:42
| ヴォーリズ建築特集
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2014年 12月 21日
階段踊り場
![]() 窓その1 ![]() 窓その2 ![]() 窓その3 ![]() 窓その4 ![]() 丘の上の森の中に、忽然と現れるその「偉大な姿」にまず驚く。 ![]() 森の奥深く、ひっそりと隠れるように建っているその姿は・・・まるで「修道院」(神の道を尋ね求める場所)。 ![]() 重要文化財の見学はこちらへ。 内村鑑三云いけり。 文の美なるを要せず、想の美なるを要す。 ▲
by kurashi_lesprit
| 2014-12-21 21:54
| ヴォーリズ建築特集
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2013年 11月 02日
![]() 画像は、「近代デジタルライブラリー・廣岡浅子著『 一週一信』」 国立国会図書館より引用 明治45年7月14日 大阪時事新報に掲載された「銀行会社特徴録」の記事より 「加島銀行」 「群雄割拠の大阪金権界に於て、住友家と鴻池家とは数百年に亘り、其因襲的権威ある特殊の暖簾を保持するは既記の如し。而して我が広岡家も、住友鴻池両家と相鼎坐し、関西財界の一角に覇を唱えたる著名の旧家にして三百年来加島屋なる商号は、如何に歴史的深甚の感想を市人に与えたるかは、今更ら贅言を須いず。 祖父が、東京帝国大学法科卒業後すぐに就職したのが、この加島銀行である。 熊本県出身であり、中学は東京の立教、高校も第五高等学校だったので、何故一度も暮らしたことのない大阪に就職したのか、その意図がずっとわからなかった。 おそらく、東京帝国大学YMCA(キリスト教学生青年会)に所属していた祖父とキリストにあるつながりがあったのだろう。 rom 12:10 ▲
by kurashi_lesprit
| 2013-11-02 15:58
| ヴォーリズ建築特集
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2013年 10月 27日
クリスチャン達の足跡〔 〕内の人物は、全てクリスチャンである。
1873年:(明治6年)2月に、キリシタン禁制令の高札が撤去 1887年:(明治20年) 摂津三田藩の第13代(最後)の藩主(九鬼隆義) キリスト教の洗礼を受ける。九鬼は、神戸港の都市開発 及び神戸女学院の前身「女子寄宿学校・神戸ホーム」を設立し、 神戸の街づくりに多大な影響を及ぼした。 1888年: (廣岡浅子)両替商加島屋(加島銀行前身)設立 浅子は、三井銀行の社長を務めた三井高保の娘 。 1901年: (一柳恵三)東京帝大法科在学中、浅子の娘かめ子の 養嗣子となる。実父一柳末徳は、前掲(九鬼隆義)の実弟。 (実母一柳栄子)は、「日本で最初に洗礼を受けた 四人の華族婦人の一人。 1902年: (浅子)大同生命設立 1903年: (浅子の娘婿、廣岡恵三)三井銀行入行 1904年: (廣岡恵三)鹿島屋の家督を相続する。 (浅子)上京。(成瀬仁蔵)と共に日本女子大設立。 1905年・ (ヴォーリズ)高校教師として米国より来日 1908年: (ヴォーリズ)宣教行為で迫害され教員失業・建築業をスタートする。 1910年: (一柳満喜子)母栄子の影響を受け、米国の留学先にて受洗。(廣岡恵三の実妹) 満喜子・恵三の父方祖父は、丹波綾部藩九代藩主 九鬼隆都 1912年: (浅子63歳)軽井沢YWCAの修養会にて、救世軍の (山室軍平)に師事「聖潔の栞」を学び始める。 ついに、復活されたキリストご自身と出会う。(霊的体験) この年の12月のクリスマス礼拝にて、受洗する。 1916年: (ヴォーリズ)明治学院大学チャペル建設 1917年: (廣岡恵三)加島銀行へ改組 1918年: (浅子)大阪YWCA設立 この年の12月「一週一信」を (小橋三四子)と共に婦人週報社より発刊 1919年: (恵三)廣岡家の自宅や別荘の建築をヴォーリズへ 依頼。通訳としての(恵三の実妹、一柳満喜子) が呼ばれ、ヴォーリズと出会う。 (浅子)の強い勧めもあり(満喜子とヴォーリズ)は 結婚する。その年に浅子は他界する。 (エスプリの祖父)東京帝国大学「学生基督教青年会YMCA」に所属 ![]() 1920年: ー大戦後恐慌ー 1921年:(三浦清一・石川光子)神戸の(賀川豊彦)の活躍する 貧民窟を訪問し、信仰を篤くする。 (石川光子=ミツ)は、石川啄木の妹。 1922年: 大同生命肥後橋旧社屋建設開始(恵三×ヴォ―リス) 大阪大丸百貨店完成 下村正太郎×(ヴォーリズ) (三浦清一)石川啄木の妹光子と結婚、牧師に献身 ー関東大震災ー 1923年: (エスプリの祖父)帝大法科卒業後、加島銀行に入行 ![]() 祖父が「加島銀行」に入行した新婚時代。 1925年: 肥後橋旧大同生命ビル完成(恵三×ヴォ―リズ) (祖父の勤務する)加島銀行社屋もこのビルの中に移転 1926年: 大正15年 (エスプリの父)大阪市住吉で出生 1927年: ー昭和金融大恐慌ー (エスプリの祖父)加島銀行退職 熊本に帰郷し弁護士開業 聖公会熊本聖三一教会(三浦清一牧師)に所属 1936年: (株)加島銀行解散(廣岡恵三) 1938年:(三浦清一)「私的宗教生活の瞑想」を出版 1940年: (エスプリの祖父)、裁判官へ転身、名古屋へ赴任する。 1941年: -太平洋戦争勃発ー 1942年: ホーリネス系クリスチャンが一斉検挙され、 国家による宗教弾圧が始まる。 日本中のキリスト教会が揺れ「国家(大衆)に付くか、 キリストに付くか」で、二分される。 1pet 3: (ヴォーリズ・満喜子)投獄を恐れ、一柳家へ入籍帰化。 軽井沢に逃れる。 (三浦清一牧師)キリストに付き、非戦論を訴え、 治安維持法違反の疑いで逮捕、投獄される。 その後、激しい迫害の中で(賀川豊彦)に救われる。 1945年: -終戦ー 国家権力(大衆)に付き、保身した(家族を守った) 多くのクリスチャン達は、自己の不信仰に挫折し、 そのほとんどが、キリスト教会から離れた。 matt 26:75 キリスト(信仰)に付き、迫害を受けたクリスチャン 達は、戦後名誉を回復され、戦後日本の復興のた めに、世界中のキリスト者の支援を受けながら、 日本国憲法の草案に寄与し、あらゆる分野で活躍、 現在の平和日本の基礎を創った。 micah 4: 3 1964年: (ヴォーリズ)他界
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by kurashi_lesprit
| 2013-10-27 23:29
| ヴォーリズ建築特集
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2009年 05月 24日
先日、NHKの「日曜美術館」で、「ヴォーリズ建築の特集」があったらしく、母から興奮して電話がかかってきた。ー5月31日(日)夜8時に再放送予定ー
「神戸に素敵な建築家が建てた学校があるらしいので、是非見に行きたいのだけど・・・」 「おばあちゃん、九州にだって沢山あるよ!活水女学院や西南女学院、おまけにおばあちゃんが通っていた旧九州女学院もヴォーリズ建築だよ。」 と話すと、びっくりする母。ヴォーリズは実に「生活」や「学び」に近いところで多くの作品を残している。あまりにも人の内面に沿った構造なので、特別な感覚が無い。つまり「目立ったり、仰々しかったり」することが無く、しっくりするので実際にその建物を使っていても、気がつかないのである。 数年前に浜寺の「近江岸邸」を見に行った時(現在も居住されている)、近隣の住宅に非常に溶け込んでいる姿が印象的だった。まだUPしていなかったので、本日UP。なんだかエスプリの家の近くの住宅に良く似ている・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1chron 28: 2 ▲
by kurashi_lesprit
| 2009-05-24 17:15
| ヴォーリズ建築特集
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2008年 12月 06日
2008年12月、模擬試験の帰りに会場のある中央区本町から淀屋橋にある中央公会堂まで、歩く。
![]() 大阪 浪花教会の2階礼拝堂のステンドグラス。ヴォーリズ建築 夕闇迫る時刻だったが、牧師先生のご了解を得て、厳粛な思いで、エスプリはひとりたたずむ。ツッカーハウスの礼拝堂によく似た内部構造。同じ頃に出来上がったのかな? 「よくきたね♪」と言われた気がした。 ![]() 11月に、妹とたまたま前を通り、立ち寄った「塚口教会」では、関西に住んでいた頃二人とも通っていた教会だった為か、「お帰りなさい♪」といわれたような気がした。教会は何処へ行っても(教派を問わず)エスプリにとって、暖かく懐かしい薫りがいつもする。 heb: 3: 2 ▲
by kurashi_lesprit
| 2008-12-06 18:53
| ヴォーリズ建築特集
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2007年 06月 04日
![]() やってきました。再び「近江の国」へ ![]() 旧佐藤久勝邸の近くにて見かけた素敵なおばぁちゃま。 ![]() 旧佐藤久勝邸一帯は、かつて草原だったそうで、広ーい草原の中に忽然と現れた個性溢れる洋館が建築され、牛が放牧されていたと近所のおじいさんが教えてくださった。 ![]() ねっ!門が素敵でしょ?そこから再びツッカーハウスのある、ヴォーリズ記念病院へ行き、前回見そびれた「五葉分館」を探します。 たった2年しか経っていないのに、記念病院は総合福祉施設に変貌しており、ツッカーハウスの回りは立派な老健施設がぐるり一帯に建築されていました。その施設の横をすり抜け、細い細い小道を右に抜けると・・・・あった、あった! ![]() 「五葉分館」です。裏山にひっそり埋もれるように建っています。 まるで、「軽井沢恵みシャレー」の祈りの家のような雰囲気です。様々な鳥達の歌声が聞こえます。かすかに耳を澄ますと基督の声が聞こえます。 「わたしの名のために、どんなに苦しまなければならないか、覚悟が出来ているか?いつもいつも私の声に聴こうとする事ができるか?」 「はい。覚悟は出来ていますが、まだまだ、訓練は続くのですか?。」 と恨めしげに聴くエスプリ。 「最後の訓練が残っている。その訓練を越えなさい。」 その後、久しぶりに「水が浜シャーレ」に行ってお昼ごはんを食べよう!と言う事になり、2年ぶりに琵琶湖湖畔を走ります。 ![]() やってきました「シャレー水が浜」何時来てもサイコーのロケーションと美味しい食事。 ![]() そして、このオープンエアーの中でのお食事は、何とも爽快な気分にさせてくれる「至福の時(プレシャスタイム)」なので~す♪ ネットで、イロイロ検索してみると、どーやらオーナーは近江八幡市の元市長でいらっしゃるらしい・・・。そーでしょう、そーでしょう。これだけの壮大なロケーションをセンス良く維持できるのは、素人ではないと感じておりました。この地の地主さんか何かではないか?と。多分地主さんと言うのは当たらずとも遠からずでしょう。 ドー考えても利益中心と言うより、地域住民や近江八幡・琵琶湖を愛する人々に、この自然の美しさを堪能して欲しい、と願っているような雰囲気です。喫茶や近江牛のステーキは利益を度外視したオーナーからのプレゼントに違いありません。 昼食後、我々は琵琶湖の対岸「近江今津」へ向かいます。 ![]() 日本基督教団「今津教会」・・・・・なんて可愛い教会なのでしょう♪ 素敵な牧師先生ご夫妻が会堂の内部までご案内くださり、資料も沢山下さいました。 matt 16:15 ▲
by kurashi_lesprit
| 2007-06-04 08:05
| ヴォーリズ建築特集
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2007年 05月 02日
おしらせ!!
![]() ご存知、美智子様と皇太子(当時)が出会われた、軽井沢のテニスコートにあるクラブハウスです。もちろん、ヴォーリズの作品。 この場所で、ご結婚前の美智子様とヴォーリズさんの写っている集合写真が、旧軽銀座の「土屋写真館」に飾られています。 ![]() テニスコートの横にある「集会堂」 「集会場」ではなく「集会堂」です。つまり、彼は神聖な場所として位置づけていたのでしょう。※正田家でも家庭礼拝や家庭集会が開かれていたんですね。熱心な(敬虔な)クリスチャンホームで育った美智子様とヴォーリズの出会いは、必然だったのでしょう。 ![]() さてここから、ヴォーリズレーンへ向かいます。 ゆるやかな坂道を登って行くと、道路の両側にコンクリートで作った門柱が2本立っています。 ![]() よーく見ると、双方とも「近江兄弟社」とペンキで書かれた文字が、うっすらと残っています。 これは、近江兄弟社がかつて(今も?)所有していた敷地であり、ヴォーリズが建てた別荘群がここからはじまる事を意味しています。 ![]() 最初にある棟が管理棟のようです。さすがに質素なたたずまい。 別荘とは、どういうことかを、深く考えさせられます。 そして、別荘の原点と言われる「九尺ニ間」の広さの建物、これがヴォーリズ夫妻の新婚当初住まいでもありました。 ※ヴォーリズ夫人については、こちら。 ![]() と、ここで突然の雨。山の天気は変わりやすい。 あわてて近くの山荘の軒下に避難するエスプリ↓。 ![]() 「ヴォーリズさん、裏口に雨宿りできる大きな屋根とデッキを作っていてくださって、ありがとう!!」 カナダ人宣教師・幼児教育家アームストロングさんの別荘 当時そのままの煙突↓。 ![]() 翌朝、早起きし、レンタサイクルでお散歩中に偶然見つけた「旧鈴木歯科夏期診療所」 「オーナのご家族」とおぼしき方が、建物の前で車を洗っておられます。 ![]() 自転車を止め、恐る恐る、夫が帽子を取ってお尋ねします。 「恐れ入りますが、こちらのお家は、ヴォーリズさんの建築でいらっしゃいますか?」 「はい、そうですよ。」 「あぁ、やはりそうでしたか。宜しければ、写真を撮らせていただけないでしょうか?」 「はいはい。結構ですよ。」 「あっ、ありがとうございます~♪ 」 ps 37:16 ▲
by kurashi_lesprit
| 2007-05-02 18:21
| ヴォーリズ建築特集
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2006年 10月 04日
と言う訳で、福山から「しまなみ海道」を渡って、一路「因島」へ~♪
![]() ついに見えて来ました、ヴォーリズ建築:いんのしまペンション「白滝山荘」 ![]() 詳しくはこちらをどうぞ。 ![]() ![]() 今夜は、こちら↓「元宣教師のお部屋」にお泊りです。 ![]() 参考;その1 な、なんと!パパリンが同じ記事をUPしていました\(^o^)/ こちらで、ご堪能ください。 ▲
by kurashi_lesprit
| 2006-10-04 20:29
| ヴォーリズ建築特集
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2005年 10月 29日
小寺邸本宅のすぐ南坂下にある、こじんまりとした小さな洋館がある。
![]() 現在、株式会社セブンハーツの所有となっているが、もともと本宅の息子さんの為に建てられた新居だったらしい。ヴォーリズの作品です。 多分、この住宅の画像はあまりネットでは見ないので、珍しいと思います。 ![]() 内部もご覧ください。 ![]() 階段横の明り取りは、勿論「黄色のガラス」が使われています。 ![]() ツッカーハウスに似た、シンプルな外観です。 ![]() 階段部分の黄色のガラスが印象的です。 ![]() お庭は、住宅の5~6倍はあります。駒井邸のように、お庭がたっぷりあります。 ![]() job 8: 6 もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される。 job 8: 7 あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。 ▲
by kurashi_lesprit
| 2005-10-29 03:06
| ヴォーリズ建築特集
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